海外に来たのに、居場所がない。旅の途中で気づいたこと
海外に来れば、何かが変わると思っていた
海外に来れば、もっと開放的になると思っていた。
知らない土地、知らない人、自由な空気。
でも現実は少し違った。
言葉が出ない。
空気を読んでばかりいる。
気づけば、自分が静かになっている。
ジョージアでのある誕生日会の帰り道、僕は強い虚無感を感じた。
「自分、こんなに存在感なかったっけ?」
でも同時に、こうも思った。
日本にいても、居場所を感じていなかったな、と。
ロシア留学のときは、こんな感覚はなかった
不思議だった。
ロシア留学中は、こんな感覚はなかった。
むしろ自然体だった。
理由を考えてみた。
あのときは、
- 学生という明確な役割があった
- 同世代のコミュニティがあった
- みんな同じ「途中」にいた
- 自然に関係が生まれる構造があった
つまり、僕は社会の中に位置があった。
今の一人旅は違う。
- 役割がない
- コミュニティが自動生成されない
- 年齢フェーズもバラバラ
- 自分だけが移動者
社会の外側にいる感覚。
それが、僕を小さく感じさせていた。
海外は人を変える場所じゃない
よく「海外に行くと変わる」と言う。
でも実際は逆かもしれない。
海外は、人を変える場所じゃない。
人を剥き出しにする場所だ。
肩書きも、職業も、言語も、自分を支えていた構造が消える。
残るのは、人間としての素の自分。
だから一時的に、
- 自信が落ちる
- 内向的になる
- 孤独になる
でも、それは失敗じゃない。
補助輪が外れただけだ。
僕は「国」を探していなかった
ここでやっと気づいた。
僕は、日本か海外かを探していたんじゃない。僕が求めていたのは、
動いている社会 × 心が近い人 × 自分が途中でいられる環境
だった。
動いている社会
完成された社会より、
まだ伸びている社会のほうが落ち着く。
経済が上向いていて、
若いエネルギーがあり、
挑戦する人が多い場所。
自分もまだ「途中」だからこそ、社会も途中であってほしい。
完成された空気の中に入ると、
自分だけが未完成に感じてしまう。
心が近い人
国籍よりも大事なのは、人との距離。
表面的な会話ではなく、人生や価値観の話ができること。
ただ歓迎されることよりも、ちゃんと接続できること。
僕は場所帰属型ではなく、関係帰属型なんだと思う。
自分が途中でいられる環境
僕はまだ完成したくない。
まだ模索していたいし、まだ変わっていたい。
でも安定フェーズの人たちの中に入ると、急に自分が小さく感じる。
それは能力の問題じゃない。フェーズが違うだけだ。
同じ速度で動いている人たちの中では、
自然とエネルギーが戻る。
結論:僕は「構造」を探している
僕が探しているのは国ではない。若くて、動いていて、関係が近い構造。
そこにいれば、無理しなくても自分は動き出す。
いまは落ちているわけじゃない。
ただ、次に自分が発動する場所を選んでいる途中なんだと思う。
そして、その構造に一番近い国が、
きっとこれからの僕の居場所なんだと思う。


