ドアを開けた瞬間、おばあちゃんが満面の笑みで立っていた。
「ようこそ! 名前は何ていうの?」
その瞬間、旅人としての警戒心が全部どこかへ消えた。
スターリンの故郷、ゴリへ
ゴリに来た理由は、スターリン博物館だった。
ヨシフ・スターリン。ソビエト連邦を率い、大量粛清で数百万人の命を奪ったとされる20世紀の独裁者。第二次世界大戦でドイツに勝利したときの国の指導者でもある。そのスターリンの生まれ故郷が、ジョージアの小さな街・ゴリだ。
ロシアに留学していたこともあって、ソビエト時代の歴史にはずっと興味があった。教科書で読んでいたものを、実際の場所で感じてみたかった。
ポチから電車で5時間。各駅停車のソビエト時代の列車に揺られて到着した。ホームに人が2、3人しかいない。駅員さんに英語は通じなかったので、ロシア語で「出口はどこ?」と聞いた。何とかわかった。


本当に小さな街だった。

世界地図が画鋲で埋まっていた
Booking.comで見つけたゲストハウス。チェックインしてすぐ、そのおばあちゃんが出迎えてくれた。
「お茶にする?コーヒー?」
荷物を置く前にお茶を出してくれた。机に向かい合って座ると、そのままずっと話し込んでしまった。
2013年からBooking.comに登録しているらしい。世界中からゲストが来ていて、評価は常に9.4〜9.7。玄関の壁にはカラフルなペンで書かれたメッセージが何十枚も貼られていた。英語、ロシア語、スペイン語、アラビア語。置いてある地球儀には画鋲がびっしり刺さっていて、ほぼすべての国が埋まっていた。


「日本の人はいつも対応がいいのよ。いつか私も行きたい」
ソビエト時代の話もしてくれた。あの頃は自由にモスクワにも、サンクトペテルブルクにも行けた。今は少し複雑になってしまったけど、と言いながら、遠い目をしていた。息子さんと娘さんが2人いて、一番上が31歳で首都トビリシの医師だという。
シーズンオフで他に宿泊客がいなかったから、ずっと2人でおしゃべりしていた。
スターリン博物館と城壁
昼寝してから、スターリン博物館へ。


博物館はスターリンの死後、ソビエト時代に建てられた。彼の栄光を伝えるために作られた施設だ。隣には彼が生まれた1880年代の実家がそのまま残っている。そのそばには、ソビエト時代に彼が使っていた専用列車も展示されていた。豪華な個室に会議のテーブル、ソファ。


展示ケースには秘密警察の記録や書類が大量に並んでいた。粛清の命令書。国家の機密文書。ガラス越しに眺めながら、これが本物なのだと実感する。


ロシアで勉強してきた歴史が、立体的になる感じがした。


外に出て、スターリンが使っていた列車の中も覗いた。

その後、街の裏手にある城壁へ。丘の上まで登ると、風がびゅんびゅん吹いていてとても寒かった。体が持っていかれそうな強風の中、ゴリの街が眼下に広がっていた。


この街でスターリンは生まれ、ここから世界を変えた。吹きさらしの丘の上で、そんなことを考えていた。
シャワルマと、エディット・ピアフ
お腹が空いたのでシャワルマを食べに行った。
シャワルマはシリア難民がロシアに持ち込んで広まった料理で、今はどこにでもある。薄っぺらい生地に野菜とチキンを包んで丸めたもの。トルコのケバブに近い感じ。フライドポテトも一緒に頼んだ。めちゃめちゃ美味しかった。

店員さんが英語でメニューをひとつひとつ丁寧に説明してくれた。観光客が少ない街は、人の心に余裕がある。東京が冷たいのと同じ理屈で、田舎に行くほど温かい。日本でも世界でも、それは変わらない。人が冷たいんじゃなくて、環境が人を変えている。
ゲストハウスに戻ると、おばあちゃんがピアノを弾いていた。
部屋の奥に古いアップライトピアノがある。聴いたことのある曲だった。しばらくしてわかった——エディット・ピアフだ。1930〜40年代のフランスを代表する歌手。パリ五輪の開会式でセリーヌ・ディオンが歌ったあの声の持ち主。
「若い頃に音楽学校に通っていたの。ピアノが好きで」
「弾いてもいい?」と聞くと、どうぞって席を空けてくれた。
僕が弾いて、次に彼女が弾いて。交互に弾き合いながら、しばらく笑っていた。

ジョージアの小さな街のゲストハウスで、おばあちゃんとエディット・ピアフを弾き合っている。こんな夜があるんだな、と思った。
夜ご飯のゴリカツレツ
夜ご飯は、近くのレストランへ行ったんだけど、ちょうど閉まってしまっていたので、別のレストランへ。
そこで、おばちゃんからおすすめされたゴリのカツレツを注文。油がすごく乗っていて美味しかったけど、2つも食べられなかった。

美味しかと言われたら、美味しいけど、もう食べなくて良いかなっていう味だった。
帰り、ゲストハウスに向かって歩いていたら、中学生くらいの子たちと遭遇する。彼らは小声で「なんかアジア人がいるよ」みたいな感じのことをしゃべりながら僕を避けてきた。なので微笑んでみた。すると、Ni Haoって言われたから僕はこんにちはって言い返してやった(笑)。そこから、フレンドリーにお話をして、最終的に一緒に写真を撮った。

子供は純粋で、無垢で、好奇心の塊だった。僕も、子供心を忘れずに生きていきたいと思った。
値段を計算しなかった朝
翌朝は8時半に朝ご飯の約束をした。
起きたら9時近かった。
シャワーを浴びて9時15分にロビーへ行くと、おばあちゃんがずっと待っていてくれた。

「ごめんなさい、眠たくて」と言うと、笑って首を振った。
テーブルの上には朝ご飯が並んでいた。コルバサ(サラミ)、スルグニチーズ、パン、スメタナ(サワークリーム)、手作りのクロワッサンみたいなスイーツ。
15ラリだった。ジョージアにしてはちょっと高い。でも一切気にならなかった。
値段を計算しようとする気が、まったく起きなかった。
いつもなら日本円に換算して、妥当かどうかを考える。でもこの朝はそれがなかった。おばあちゃんが作ってくれるのだから、それだけで十分だった。
人が動くのは、自分を大切にしてくれる人に対してだと思う。自尊心を満たしてくれる人に対して。値段よりも先に、心が動く。
食べ物のお腹は食べれば満たせる。でも自尊心のお腹は、なかなか満たせない。だからこそ、人はそこに動かされる。お金が動く理由はここにある。ビジネスの話でよく聞くことだけど、実際に体で感じたのはこの朝が初めてだった。このおばあちゃんは、13年間それをやり続けている。
またね
出発前に、メッセージノートを渡した。
旅をしながら、会った人に一言書いてもらっているノート。おばあちゃんはしばらく考えてから、ロシア語で書いてくれた。「あなたは本当にいい子ね。素晴らしい人だわ」と、ノートの外でも言ってくれた。
一緒に写真を撮った。
タクシーを呼んで、玄関に向かった。
そのとき、おばあちゃんの目に涙が浮かんでいた。
「グッドバイじゃないよ。See You Again」
ハグをして、タクシーに乗った。バックミラー越しに、おばあちゃんが手を振っていた。
人生は、出会う人で変わると思った。
お金でも、場所でも、経験でもなく。人。どれだけいい人と、深くつながれたか。それが幸福度を決めているのだと、改めて感じた。
アフリカの人が日本より幸福度が高いことがある。経済的には豊かじゃないのに。それは、人とのつながりの密度が違うからだと思う。日本は豊かになったぶん、人との距離が遠くなった。みんな自分を守るために壁を作る。電車の中で誰も目を合わさない。
ゴリは小さな街だった。観光客もほとんどいない。でも、おばあちゃんのゲストハウスは世界中の画鋲で埋まっていた。
いろんな人が、ここで同じように温かさを受け取っていったのだろう。世界一温かい場所は、案外こんなところにあるのかもしれない。







